セクシャリティーについて思う事
KAN (2003年6月)
私は、人のセクシャリティーなどきっかけがあれば変わると思っている。生きてるうちにどれだけの出会いがあるか、どれだけ感性豊かに生きるかそんな所だと思う。色んな人と出会って自分のセクシャリティーが変わったとき、それを本人が認めてあげられない事ほど悲しい事はない。柔軟に、自由に、幸せに、そんなセクシャリティー観を持っていたい。
私は、この世界に入った時オッカナびっくりだった。居心地がいいと感じつつ、これでいいのかという問いがいつもあった。むしろ、自分がこっちの人間だと認めたくなかった。それは、同性愛者が嫌だからというのではなくて、こっちの世界に踏み込んだら自分の中で何かが解放されて積み上げてきた物が壊れそうな恐怖があったからだと思う。小さい頃からしっくりこない体への嫌悪感や、自分の中にある男性性への罪悪感のようなものがそうさせてたのだと思う。
自分は自分自身女だと思い込む事で、周りとのバランスをとってきた。周りと上手くやっていけるのは作られた女としての自分。自分が解放された感じがして、心からエネルギーが沸いてくるのはそのまんまでいい自分。2つの自分が、時と場合によって共存してる。自分らしくいたいとはいつも思うけど、それをセーブする気持ちも社会の中にいると大きく働く事がある。特にまわりから浮きたくないビビリな私だとそれが強い。
そんな風にいつまでたっても自分を掴めない人、その中途半端さがその人のセクシャリティーかもしれない人も居るのだ。
私は今、お前はノンケだと言われてセク界から追い出されたら孤独を感じると思う。かといってビアンの世界では何か感覚がずれている事も確か・・・行き場所が無いけど辛うじて、どっちの世界も行き来してふらふらしている。性自認は、判ってるけど見ないふりをしている。判ってる事、判らない事、見ないようにしてること、そんなのでいつもぐちゃぐちゃ。そしてこれからもぐちゃぐちゃかもしれない。こんな自分だから、そっとしててほしいのだ。
そんな思いもあってこのHPを作った。ここには色んなダナな人たちがくる。ダナ系かなぁ・・・ダナーズ系でもあるかもな・・・となんとなく自認してる人などなど。そんな色んなゲストさんが来てくれるたびに、ここを作ってよかったと思う。通りすがりの休憩所、長いの宿・・・どんな風に利用してくれてもいい。多種多様なダナさんが来てくれる分、その中から自分の居心地のいい友達を見つけてくれればと思う。皆と合わせろとは勿論言わないけど、皆を認めてとは言いたい。こうじゃないといけないんだ!論を持っていて、それを人に強要する人は唯一お断りしたいゲストさんだ。
自分が先頭に立って中途半端人間だから、なんとなく漂っていられるサイトとしてダナコミがありつづけて欲しい。イロイロ、セクについて語るのは結構だが、他人についてとやかく言う事は止めて欲しい。
それは他人を認める事で、自分を認める事にも繋がりより豊かに生きれると思うから・・・同じマイノリティーとして生きる人たちなんだもん。こうやって知り合ったのも何かの縁。仲良くしたいよね。
その原因、性別が問題かな?
モト (2002年9月)
僕は下着も服もメンズ。
男に見られたらやはり嬉しい。
けど胸は潰してないしブラも(しないと邪魔なので)する。
昔は男になりたくてしかたなかった時期があった。
胸の手術とか注射も本気で考えた。でもふと考えた。体以外僕の何がかわるのか?
今は性別以前に「自分」ていう個性が存在してるんだなぁ…って考えるようになった。
自分に自信が持てるようになってきていつのまにか焦りもなくなった。
周りにもまず人間として認めてもらえるような魅力的な人間になりたいと思った。
「女の体だから認められない」なんてことはないと思う。
そう考える前に倍でも3倍でも自分を人間として認められる努力をして人間同士の付き合いがしたい。
女扱いされるのはやっぱり違和感だけど、
そういうの抜きで付き合ってくれる素敵な人達に囲まれてる今はとても幸せだし、
「男」だとこだわっていた時よりも今の中性(?)なスタンスが気にいっている。
僕は男や女である前に「僕」なんだから。